Beginning
アメリカ行きのいきさつ

そもそものきっかけは母校である大学の研究室で働いていた頃、雑誌「室内」に載っていた小さな記事を偶然見つけて、とある木工展を見たことでした。東京国際フォーラム内にあるギャラリーにはそれほど大きくもないキャビネットが3つ置かれていて、どれも木工芸としては手の込んだものばかりで、僕にしてみたら目のウロコがごっそりと剥がれ落ちる忘れられない展示でありました。
作者のプロフィールを見ると、日本在住のアメリカ人、そしてカレッジ・オブ・ザ・レッドウッズの木工プログラムの卒業生と書いてある。
実はそのプログラムの主宰、ジェームズ・クレノフ氏は木工の世界では知る人ぞ知る人で、彼のキャビネットづくりに対する独自の考えや、その実践的な制作内容が書かれた本は日本でも入手可能で、僕も学生時代から何冊か持っていた。
初めて本を見た時はこんなに丁寧につくる人がいるんだと感動もしたし、カリフォルニアの大学で木工を教えていることも以前から知っていたけれど、「実際に」自分の眼でクレノフの家具や彼の教え子らがつくった家具を見たことは、それまで一度もなかったのでした。

今も人々を惹きつけるクレノフの著書。
どの本も木工家として何度も勇気づけられる内容です。

2004年の春、仕事を離れたのをきっかけに、時々思い出したりしていた「プログラム」という、全く現実味のなかった存在が日に日に大きくなり、昼も夜もなく頭の中でどんどん膨らんでいった。
とりあえず、そのプログラムがあるアメリカのコミュニティーカレッジの募集要項をメールで取り寄せて、とにかくTOEFL(トーフル(Test of English as a Foreign Language))のスコアを取らないことには何も始まらないってことが、ひとつだけはっきりした。当たり前のことだけれど、アメリカはやはり英語なのです。
それから何日くらいだろう、送られてきた入学案内の資料に挟まれていたピンクの蛍光色のチラシを取り出しては眺め、眺めてはまた仕舞い、そんなことを何度も繰り返していたけれど、結局アメリカに行こうと腹を決めた。
それは英語を母語としない人が英語を学習できる、カレッジに一番近い、隣の州立大学内にある英語講座の1枚のチラシだったのです。

今考えれば奇妙に思うのだけれど、行くと決めてからは何の根拠もないみなぎる自信と、熱っぽいザラザラとした衝動だけで、不安や迷いは全くなかった。
しかし今だから言えることだけれど、仮にその英語テストのスコアを取ったとしても、果たして自分が目的のカレッジに行けるかどうかの保証などひとかけらもない、常識的に考えればあまりにも無計画で、ただの向こう見ずな行為なのでありました。