Arcata
5人が暮らす家

僕が最初に着いたアメリカ、カリフォルニア州ハンボルト郡アルケータ。サンフランシスコから海岸沿いに北上して飛行機で約一時間。世界一大きな木、レッドウッドの巨木が聳える森を背にした緑豊かな白人ばかりの町。日本のハイブリットカーだって颯爽と走る。
まず空港に降りて町まで来た時の印象は、何といっても空がきれいで、同じ太陽のはずなのに、目にする色のすべてが鮮やかだったことでした。

町の中心、アルケータプラザ。
夜な夜な怪しい若者もうろつくが、何といっても安全な町だった。
町の東側は鬱蒼とした森が広がる。
小指の爪の大きさ、足下に咲くレッドウッドソレル。

最初のアメリカでの家は賄い付きの下宿でした。突然の異国暮らしに戸惑う僕のような外国人に意外にも扱い慣れていた。それもそのはず、お母さんであるアビーは交換留学サポート組織で働くためか、世界中から来るいろんな高校生を一人か二人は毎年下宿させているという。僕がいた時はタイの英語教員(2娘の母)ルンティップと地元の大学に通う日本人留学生、カズがお世話になっていた。そしてこの家の主であるマイケルは、頭の禿げ上がった穏和な紳士で、障害者のための自立支援の仕事と地元の大学で経済も教えている。休みの時には仲間とよくバックパッキングに行くのが趣味で、裏庭のウッドデッキにくたびれた寝袋やテントやらが帰ってくる度に干されるのでした。

毎日の食事は、夕飯をみんなで揃って食べるというほかに特に決まりもなく、朝はグラノーラだったり昼はサンドウィッチだったりとめいめい勝手に冷蔵庫の中から用意して、夕食をお母さんであるアビーが作った。夏時間のせいで日差しがまだ眩しいうちの夕ご飯に、最初は時間の感覚が麻痺したような違和感があったけれど、心穏やかに話題に事欠くことのない5人揃ってのだんらんでした。
アビーの作る食事は品数が少なく、どれも味付けの淡泊なつましいものであり、大きなボールに盛られたレタスだけのサラダが決まって登場した。だからだろうか、そうした食事に飽き足らず、タイから来たルンティップもよく作った。隣町のアジアンマーケットで買ってくる食材は、もう見ているだけで楽しくなるような物ばかりで、スープから炒め物に至るまで、手を替え品を替え、巧みに繰り出されるのはなんといってもナンプラーと青唐辛子。日本語の「辛い」という形容詞がどれだけ深みのない薄っぺらな言葉か思い知らされるようで、毎回どしゃぶりの汗をかきながら本物に食らいつくのでした。予想もしなかった貴重な経験で、タイ料理にも少しは詳しくなった。
広々としたキッチンのカウンターにはアビーがオーブンで焼いたチョコクッキーやアップルパイ、砂糖どっさりのブラウニーなどがいつも用意されていて、いかにもアメリカだなぁと思う。いつも食べるばっかりじゃ申し訳ないと、カズと進んで夕食の後片づけをしたけれど、流しの下にある大きな食器洗い機が、そのほとんどをやってくれたのでした。

下宿したアビー&マイケルの家。一階奥の部屋に間借り。一年間本当にお世話になりました。
遠くアルケータ湾を望む家の裏庭から。
夕食も済ませ、夕日も沈み、さてこれから宿題の山を片づけ始める午後8時頃。